LOGIN話は戻ってゆきが初めて体育の時間に注目を浴びた、その日の夜。
約束していた動画投稿見学のときに今日のわたしの体育の話になってそれを唯一見ていたあか姉が他の姉妹から羨ましがられていた。
特により姉は年齢的に同じ学校に通うことは小学校の時の1年間しかなかったので余計にうらやましいみたいで、部活の助っ人に参加することとなったことを知るとあか姉に録画してくれるように依頼をしていた。
普段見る機会がないとはいえ学校での姿を見たいというより姉の気持ちが嬉しいような恥ずかしいような。
わたしのかっこいいところを見たいってことなのかな……。
そう思うとなんかこそばゆくなって照れくさくて、顔が熱くなってしまう。それはまだわかるんだけど、この胸の高鳴りはなんだろう。
ドキドキしてしまってより姉の顔をまともにみることができない。
「それじゃ、まずは歌の収録からやっていくね」
動揺を隠すためにも今日の本来の目的である投稿動画の収録を始めることにした。
生配信の時は口パクを絶対しないのがわたしのプライドでありポリシーなんだけど、投稿動画に関して
は歌とダンスを別撮りにしてある。ヘッドセットが邪魔にならず思い切り踊れるというのもあるけど、複数のカメラで同時撮影した動画を編集してMVみたいなスタイリッシュでかっこいい動画にしたくて楽曲は別で流している。
まだ勉強中なのでカメラは3台しかないし編集もまだまだだけどそのうちプロが作ったようなものにしたいと思って猛勉強中。
別撮りと言っても完全に口パクなわけじゃなくてマイクをつけていないだけで毎回ちゃんと歌いながら踊ってる。
わたしにとっては歌とダンスは切っても切り離せないもので、歌いながらの方がリズムやステップが合わせやすいから。
ただあくまでも別撮りだから曲だけに興味がある人や、編集で少しは見栄えも良くなったダンス動画を見たい人は投稿動画をメインに見るし、あくまで口パクなしのダンスパフォーマンスに関心がある人は生配信の方で楽しんでもらえる。
加えてやっぱりリアルタイムでリスナーとのコミュニケーションを取れるのが生配信の醍醐味であり大事な要素。
投稿頻度って大切だから動画、生配信ともに手抜きしたりせずに真心こめて制作しているんだけど、歌って踊るだけの動画投稿よりはリスナーと直接対面する生配信の方がその日どんなことを話題にするか考えておく必要もある。
飽きられず楽しんでもらえるよういろんなネタを用意するのが一番大変だ。
会話の流れによってはセンシティブな内容に踏み込んでしまうこともあるので、姉妹たちには生配信をみせることはできない。
ただそれだと家族にはわたしの歌を聴かせないということになってしまうので投稿動画の収録見学をしてもらおうというわけだ。
曲はもう作ってあるので、まずはそれに歌声をのせる録音からなんだけどよく考えたら姉妹たちの前で歌声を披露するのはかなり久しぶりなことのような気がする。
アメリカで新曲を出すときに聴いてもらったけど、すぐに修業期間に入ってしまったのでそれ以降はみんなの前で歌っていない。
久しぶりすぎて少し抵抗があるというか純粋に恥ずかしさがあるんだけど、約束もしてたし何よりみんなわたしの歌が聞けることをめちゃくちゃ楽しみにしてくれている。
だからいっそ今日は家族サービスと思って、恥ずかしい気持ちは忘れて思いっきり情感込めて歌い上げることにする。
誰かを招くこともあるだろうと休憩用も兼ねて設置しておいた大きめのソファーがちょうど役に立った。みんながそのソファーに座ってじっとこちらを見てる。
今日までの努力の結果、よく聴いていてね。
茜にゆきの部活風景の録画を依頼した後、ソファーに座って歌の準備が整うのを待つ。ワクワクしながら以前聞いた時の事を思い出していた。やがて演奏から始まり美しい歌声が耳朶をなでるように響いてくる。数年ぶりに聴くゆきの歌声に衝撃を受けた。
ずっと歌やダンスの勉強と練習をしていたのは知っていたけど、ここまで上達しているとは予想以上だ。
子供の頃からずばぬけて可愛かったゆきは当初その容姿で芸能界へスカウトされたんだけど、すぐに歌の才能を見抜かれてふわふわダンスのもとになった歌を発表。
幼い子供とは思えない歌唱力とダンスで社会現象と呼べるほどに大流行したんだけどその歌声はもはやあのころとは別次元で、もう十分にプロとして活躍していけるレベル。
やっぱりゆきは天才だ。
ゆきのことだからまだまだ上を目指していくのは間違いないのでこれからどこまで昇っていくのか末恐ろしい。
茜は目を閉じて自分の世界に入り込んで聞き入ってるし、楓乃子と陽愛はすでに泣いている。気持ちはよくわかる。かくいうあたしもすでに胸がドキドキして顔も熱くて仕方ない。他の三人も顔が真っ赤だ。
だっておもいっきりラブソングなんだから!ポップな曲調だけど、歌詞が片思いの相手に向けた情熱的な恋心をつづったもの。
それを生歌で、しかも至近距離で歌われた日にはまるで自分だけに向けられたメッセージみたいに勘違いしてしまうのは不可抗力!
それをしっかりと情感込めて歌ってくるんだからそりゃ感涙にむせぶのも仕方ないってもの。
あたしもさっきからやばいけど、極力平静を装おうとしているのは自分でもよくわからんが長女としての意地みたいなもんか。
でも途中まではなんとか耐えてきたけど最後のサビに入ってゆきが目線をこちらへ向けるようになったのでとうとう涙腺崩壊。
こっちを見て何度も『大好き』って連呼されたら陥落必至!赤面爆発!ただでさえ姉妹みんなブラコンなのにそんなことされたらもっと重症化するに決まってるじゃないかよ……。
狙ってやってるのか?つってもまぁゆきのことだから無自覚なんだろうけど……。
涙腺は崩壊したけどどうにか正気を保ったまま曲が終わって、ゆきが録音スイッチをオフにした途端3人はゆきに飛びついていった。
「めちゃくちゃよかったよ、ゆきちゃ~~ん!」
陽愛が真正面から抱き着いて胸のあたりに顔をうずめてグリグリしてる。
「ゆき、大好き」
「お姉ちゃんに聴かせるのにこの曲をチョイスするとはさすがゆきちゃんです~」
茜はゆきの頭を抱きかかえて、楓乃子は右腕を抱きしめてスリスリ。もう完全にゆきの歌にやられちゃってるな。
あたしは長女としてそんな姿を温かい目で見守る……なんてできるわけがない!羨ましいに決まってる!
当然空いてる左腕を確保。ゆきの温もりをめいっぱい感じてすごく幸せな気分。
そのままほっぺにキスでもしたい衝動にかられてしまったあたしが実は一番重症かもしれん。
「そんなにみんなでくっついたら暑いってば~」
ゆきからそんな苦情が出てるけどまんざらでもないみたいだし離す気もないから当然のごとく却下。あんな曲を選んだ責任をとってしばらくもみくちゃにされてなさい。
満足するまでゆきを堪能した後、次はダンスを収録するというのであたしたちはほくほく顔でソファーに戻った。
アメリカではメディアへの露出がなかったに等しいのでダンスを見せてもらえるのはそれこそ子役の時以来になる。
子役の時のダンスもかわいかったけど、それがどんな風に進化しているのか期待に胸が膨らんできた。
曲が始まってゆきの体が動き出す。そんなにアップテンポの曲ではなかったのでダンスも激しいものではないんだけど、そんなことは関係なく始まるなり見入ってしまった。
さっきと同じ曲だから熱烈な恋心を聞かされてまた赤面しそうだったけど、今回は曲よりもゆきのダンスに見入ってしまい照れている場合ではなくなった。
専門家ではないのでどこがどういいとか詳しくは説明できないけど、とにかくキレイだ。
特別な動きでもないちょっとした腕の動きなんかにも洗練された美しさと言うか色気が漂っているような気がする。
時に激しく時に妖艶に、しなやかな動きとキレのある動きが組み合わさり見事としか言いようのないパフォーマンスに目が離せない。
他の姉妹の顔を見てみると、まるで美術館で心を打つ絵画を見た時のように恍惚とした表情で食い入るようにゆきを見つめている。
ゆきは普段の所作からしてキレイで感心することも多い。それがダンスにも活かされているのか腕や足の上げ下ろしといったような単調な動きでさえここまで流麗で芸術的なものになるものなんだなと感心する。
足先から手の指先の動きまで、どうやったらこんなに美しく見えるように動かせるのか不思議なくらい、どこをとってもしなやかでキレイ。
ダンスを見て鳥肌が止まらないのは生まれて初めての経験だ。
ゆきには底がないんじゃないかと思うくらいのポテンシャルがきっと秘められている。
だからただでさえ完成されているように見えるこのダンスもこれからさらに洗練されていくんだろうなと思うと、いつまでもそばで見ていたいという欲求があふれてくる。どこまで成長していくのかずっと見守っていたい。
この気持ちはきっとここにいるブラコン4姉妹がみんな抱いている想いに違いない。
曲が終わって最後のポーズが決まっても、さっきと違って誰もゆきに駆け寄ったりしない。
みんな芸術作品や名作映画を見た後のように感動の余韻に浸っている。かくいうあたしもそうだ。
駆け寄るどころか無意識のうちに立ち上がって拍手をしていた。4人だけのスタンディングオベーション。
言葉であれこれ言うよりふさわしいような気がして、最大の賛辞を込めて惜しみない拍手を送る。ゆきは少し照れながらもものすごく嬉しそうな顔をしている。
今はたった4人だけれどいつか何万人、何十万人もの観衆から雷鳴のような拍手を浴びる日が来るに違いない。
そう考えるとその場面が目に浮かぶようで涙があふれそうになる。すごく楽しみだ。その場面をお姉ちゃんに一番近くで見させてね。
愛情込めて精いっぱい歌い切った。ちょっと選曲がアレだったかなとは思うけど元々予定していた曲だしあくまでも歌だしね。
けどちょっと意識してくれたりなんかして……ってそんなわけないか。
照明の配置上マイクのある場所よりもソファーのある位置の方がちょっと暗くて表情は良くわからなかったけど、ダンスが終わった後にいっぱい拍手をくれたからおおむね好評だったみたいだけど。
「みんなに見られてちょっと緊張しちゃったよ。わたしの歌とダンス、どうだった?ちゃんと歌えて踊れてたかな?」
コメントでいろんな人からの賞賛の言葉はもらえるけど、少しは身内視点からの感想も聞いておきたい。
キリママが気合を込めて可愛く作ってくれたアバターのおかげでかわいいとチヤホヤされている現状ではリスナーの評価が甘くなっている可能性があるので、そういったフィルターがない家族なら忌憚のない意見を聞かせてくれるだろう。
改善できる点があるならどんどん改善してもっと上を目指したい。そしてもっとたくさんの人に聴いてもらって、より多くの人に幸せを届けたいから。
「感情がこもった歌声に胸が熱くなったよ。歌唱テクも以前の比じゃないし、声量もやばくて思わず感動して泣いちゃった!歌ってここまで心を動かすものなんだなって再認識させられたよ。ダンスもすっごいキレイだったよ」
ひよりが興奮気味に賞賛してくれた。実際に泣いていたようでかの姉とひよりは目が赤くなって腫れている。
「心に響く歌唱力はそこらのプロでも太刀打ちできないと思う。しなやかなダンスはまるで芸術作品を見ているようだった。細部まで動きが洗練されていて、そんな繊細な動きはアバターでは表現できないからVtuberでやっていくのはもったいないくらい」
あか姉は冷静ながらもべた褒めなのは同じ。いつもより饒舌なのは少し興奮しているのかな。
アバターでもないし画面越しでもない生で見ている分、細かいところまで良く見えたおかげでよりレベルが高く見えたかもしれない。
「本当に最高でしたわ」「文句のつけようがない」かの姉とより姉も口をそろえて賞賛してくれる。
結論。いろいろ条件に違いがあるとはいえ、身内の方が評価甘々だった。
まぁそれだけわたしのことを好きでいてくれているということだから嬉しくはあるんだけどね。
リスナーのみんなからも家族からもみんなに褒められてるんだから少しくらいは自信を持ってもいいのかな。
「ありがとうね。みんなに褒められて少し自信がついたよ!でもそれで慢心しないようにもっと精進しないとね!」
「慢心なんてゆきはしないだろ。いつだって努力してるのはわたしらもずっと見てきてるよ。だからわたしらが褒めたのは本心からだし、もっと自信もっていいんだよ」
より姉がそう言って微笑んでくれる。いつも否定せずに受け入れてくれるこの姉妹に囲まれて今までずっと支えられてきた。
この賞賛と期待を裏切らないようにもっと上を目指して結果を残したい。
もっとたくさんの人に聴いてもらえるようになったらきっとそれが一番の恩返しになる。まずは目指せチャンネル登録者100万人!頑張るぞ、おー!
そして夏休みも半分以上が過ぎた盆明けの頃、わたしの体にもうひとつの異変が起きた。 なんと声がでなくなってしまったのだ。 完全に出ないというわけではない。 でも風邪でもひいたかのようなかすれ声。ただ他には症状が何もなく、熱があるわけでも咳が出るわけでもない。 ただ単にのどがいがらっぽく声が出にくくて、無理に出そうとするとかすれてしまうというだけの症状。 不調はどこにもないからのど飴でも舐めていればそのうちよくなるだろうと高をくくっていたら症状が数日続いてしまい、動画投稿ができないという事態になってしまったのでさすがに病院へ行くことにした。「あー声変わりですね」「へ?」「だから声変わり。中学2年生だよね?たいてい身長が急激に伸びた後に声変わりすることが多いんだけどね。その様子からするともう身長の方は頭打ちかもしれないね」 わたしにとって衝撃的なことを告げ、人の気も知らず朗らかに笑う医師。 このことは2つの意味でショックだった。 まず、声変わりして今までのような声が出なくなったらどうしようというショック。 ただこれに関してはいずれ起きうることと想定していたので、変わってしまった声質に合わせた曲を作ればいいだけなので対処のしようはある。 今までの声が好評だったので声変わりをして人気が落ちてしまったらどうしようかという不安はあるけどこればっかりはどうしようもない。 男性の声質に合わせたボイトレを勉強しなおさないとな……。 声のことはそれでいいとして、それ以上にショックだったのが身長の件だ。 これ以上伸びない!?夏休み前の身体測定で2cm伸びて155cmとなりまだまだ可能性はあると喜んでいたのに! 160にも届いていない現状でまさかの最後通告をされてしまうなんて……。 ショックから立ち直れないまま家に帰ると、みんな心配してくれていたようで全員揃ってお出迎えしてくれた。そして沈んだ表情のわたしを見てみんな大
チャンネル登録者100万人突破という目標を達成してとりあえずVtuber活動にも一区切りがつき、時間的にも余裕ができていたのを目ざとく察知したひより。 お兄ちゃん大好きを公言するひよりがそのチャンスを逃すはずもなく、どこかに遊びに行こうとせがまれた。 スケジュールにも空きがあるので遊びに行くこと自体はいいんだけど、問題は提案されたその行先。 せっかく夏なんだから海に行きたいと声を揃えて提案されたものの断固拒否。 あまりにも強く拒否をしたものだから、理由をしつこく問いただされてしまう。 恥ずかしいから言いたくなかったんだけど、さすがに誘いを拒否したうえに黙秘と言うわけにもいかず渋々理由を告げると全員に大爆笑されてしまった。 笑い事じゃなく本気で恥ずかしいんだからね! その理由はさらに胸が大きくなってしまったというわたしにとっての衝撃的事実。前に買ってもらったブラがかなりきつくなっていたのだ。 そんなことなかなか言い出せず黙って苦しい思いに耐えていたんだけど、姉妹たちに自白したらさっそく新しいものに買い替えるためにもサイズを測りに行こうという話に。 案の定Cカップにサイズアップ。まぁわかってはいたんだけど……。 そして当然のごとく選ばれるフリフリの付いた下着たち。あぁまた女体化が進行してしまう……。 さらに成長してしまった胸をひっさげて人の多く集まる海やプールにおもむいて衆目にさらすことに対しどうしても恥ずかしさを拭うことができないので、今年はわたし抜きで行ってくれるようお願いした。 でもわたしがいないとつまんないという理由で結局今年は誰も泳ぎに行かなかった。4人で行ってくればいいのにと思ったけど、わたしがいないところでナンパ男にちょっかい出されるのも不快だから結果的にはよかったかな。 その代わり少しでも涼しいところへ遊びに行こうということで水族館巡りをすることに。 近場の水族館に行った後、ジンベエザメを見たいということで関西まで遠征したりもした。 楽しかったけどよく考え
忘れていた。というより忘れたままにして何事もないように過ごしていたかった。 だけどそういうわけにもいかず、とうとうその日を迎えることになってしまう。 プール開き。 来週からいよいよプール授業が始まる。どこの学校にもある行事だろう。 楽しみにしていたという生徒も多い。 無料でプールに入って涼めるのだから日本の暑い夏を過ごすのにこれほどありがたい授業は他にないだろうとも思う。 だけどそれはあくまで一般生徒にとってのお話。いや、わたしも一般生徒だけれども。 ただわたしには決して忘れてはいけない特殊な事情がある。 この無駄に膨らんだ胸だ。 どうすんだよ、水着。 もちろん男子と同じ下だけというわけにはいかない。 かといって女子用のスクール水着だと股間が大変なことになってしまう。 いっそのことずっと見学ということにしてもらおうかと思ったが、ズルをしているみたいで心情的にイヤだし、クソ暑い中水遊びに興じるクラスメートをただ眺めているだけというのもなかなかに拷問チックな絵面。 学校には校則と言うものがあるので、より姉が主張するように好きな水着を一人だけ着させてもらうというわけにもいかないだろう。 というわけで担任の瑞穂先生に相談しているのだけど、なかなか妙案と言うのは浮かばない。 職員室のパソコンで水着を検索しているのだけど出てくるのはより姉が見たら喜びそうなかわいいものばかり。『学校 水着』で検索すれば出てくるのはスクール水着のみ。これもう詰んでない? ちょうどその時、2年生の体育を担当している船越清美先生が授業を終えて帰ってきた。「瑞穂先生に広沢さん、2人揃ってパソコンにかじりついてどうしたの?」「広沢さんの水着を探しているのよ。ほらこの子、男の子なのに胸が出てきちゃったでしょ?それで学校指定の水着では男女どちらのものを着ても問題があって……」 さすがに職員室の中なのでバストや股間と言ったセンシティブな単語は避けて話してくれてはいるけど、自分の
翌日、週初めの学校では彩坂きらり×YUKIコラボの話題で持ちきりだった。「すごくよかったよね!」「歌も当然だけど2人の掛け合いも息が合っていて面白かった」「ほんとあの2人の歌唱力は抜群だよね」「プロの中でもあの2人より上手い人なんてなかなかいないんじゃないか」聞こえてくるのは好評の声ばかり。少し面映ゆい。「あの2人と同じくらい歌が上手いプロって言えば岸川琴音くらいじゃない?」 その名前を聞いて思わず体がピクリと反応してしまった。幸い誰にも気づかれていなかったけど、懐かしい名前を聞いたもんだ。 岸川琴音。ピーノちゃんの名前が売れすぎて陰に隠れてしまっていたけど、2人で踊るふわふわダンスの相方だった人。 わたしが引退した後は子役から歌手に転向し、今では押しも押されもせぬトップアイドルの歌姫。歌だけじゃなくダンスのセンスもあるのだけど、「ダンスはピーノちゃんとしか踊りません」と封印してしまい今はその抜群の歌唱力のみで歌姫として芸能界に君臨している。「怒ってるんだろうな」 もともと引っ込み思案で子役たちの中でも目立たない存在だった琴音ちゃん。ピーノちゃんの番組が始まるときに「この人と歌いたい」と言って歌の世界に引きずり込んだのは他ならぬわたしだ。 その張本人が突然理由も告げずにいなくなってしまったのだから残された琴音ちゃんには恨まれて当然だろう。 わたしが素顔の露出を躊躇してしまうもうひとつの理由であったりもする。 でも逃げ回っていても仕方ないし、不義理をしたままなのもイヤだ。来年素顔を出したときにはこちらから連絡を取って素直に謝ろう。 連絡先知らんけど。 今はまだVtuberとして素顔を隠しているので、子役のこと含め正体を明かすわけにはいかないけど、これも素顔をさらすときに覚悟しておかないといけない課題のひとつか。「ゆきも岸川琴音は知ってるでしょ?」 ふいに穂香が話題を振ってきた。今まさに考えていたことを突然降られて少し動揺してしまったけど、気持ちを落ち着けて何食わぬ顔で返答する。「もちろん、日本の歌姫って呼ばれてる
午前中は別の用事で潰れてしまったけど、午後からいよいよ家族そろっての東京観光だ。 まず、東京に来たらここでしょうとばかりに向かうはスカイツリー。新しくできた東京のランドマークと言うことでやっぱり人が多い。人ごみをかき分けるようにして展望台の中でも一番見晴らしがいい場所までたどりついた。「おぉ、たけー」 ……だよね、それ以外に感想なんて浮かばないし。 夜景とかだったらキレイーとかあったかも知れないけど、残念なことに時間は昼でしかも天候もくもりだったのでそんなに遠くの景色まで見えない。富士山も見えない。 それにしても感想が「高い」だけというのも少し感性が低いのかなって不安になる。歌い手には感性が命なのに!「おーたっけーな」「うん、高い」「ほかに感想は出てこないんですか」 どうやらみんな似たようなもんらしい。ちょっと安心。 いつも元気なひよりはというと、実は高所恐怖症で展望台の中心部分から一歩も動かず決して端によろうとしない。「こっちおいでよ」と言って誘うと野生動物のように威嚇してくるくらいだから余程怖いんだろう。エレベーターで上がってくるときも目をつぶって何やらブツブツ念仏みたいなのを唱えてたもんな。 でもこうやって何も考えずに景色を眺めるのもたまにはいいかもしれない。 普段は朝からご飯を作ってそれから学校に行き、部活が終わって家に帰るとまた晩御飯を作って食事が終わったら少しの時間家族と会話してそのままスタジオにこもって曲の収録やらダンスの練習をして収録、動画投稿。終わったら後はお風呂に入って宿題をやって眠るだけ。 休日も3食作る以外はスタジオにこもりきりと言っていい状態。 そんな有様だからこうやってゆっくり何もしない時間を楽しむというのも久しぶりの事だ。 これはこれでリフレッシュになるだろうから、これからは意識して何もしない時間と言うのを作っていった方がいいかもしれない。 人間何かに忙殺されてしまうと視野も狭くなってしまうしね。そういえば最近は星空もゆっくり眺めることができていないな。 スカイツリーから出てくるとひよりも復活して、これからが本番だと張り切っているので何をするのかと思いきやショッピング。「ここからはゆきちゃんが主役だよ~」 ひよりの言う通り家族がそろい、そこにわたしもいるということはいつもやることが決まっている
配信が21時開始のため終わった時点ではもうすっかり夜更け。手早く後片付けをしてホテルに戻ろうと準備していたらきらりさんから声をかけられた。「タクシーを手配したから一緒にどうぞ」 同じホテルに帰るのに断るのはあまりに他人行儀すぎると思い、お言葉に甘えて同乗させてもらうことにした。 帰りの車中、今日の感想など語り合いながら楽しく過ごしていたのに、ホテルが近づくにつれ口数が少なくなっていくきらりさん。「さすがにもう眠くなってきましたか?」 疲れたのかなと思ってそう尋ねると、微笑みながら首を横に振る。でもその笑顔は曇っていた。「今日はね、Vtuberをやりだしてから初めて!ってくらい本当に楽しかったの。それがもう終わっちゃったんだと思うとなんだか寂しくなってきちゃって」 そこまで楽しんでくれていたなんて!嬉しさに心が躍る。 同時にきらりさんの表情から、そんな楽しい時間が終わってしまったという寂寥感が感染してわたしの胸にも寂しさが湧き上がる。 でも、わたしときらりさんにはきっとこういう湿っぽい空気と言うのは似合わない。リスナーさんたちならそう思うはず。「祭りの後というのはどうしても寂しくなってしまいますよね。でも今日で終わりってわけじゃないですよ!今日もとっても好評だったしまたコラボしましょうよ。なんならリスナーさんから【またかよ】って言われるまで何度もやったっていいじゃないですか!」 そう言って笑いかけると、目にいっぱい涙を浮かべながら服の裾をつかんできた。「本当!?また一緒にやってくれる?これで終わりじゃない?またわたしと会ってくれる?」 う……そんな期待に満ちた目ですがりつかれると……。かわいい……。6歳年上なのにまるで少女のような顔で迫られてドキドキしてしまう。「も、もちろんですよ!またきらりさんと一緒に歌いたいし、今日みたいに楽しい時間を過ごせるのはこちらとしても大歓迎ですよ」 少しでも安心してもらえるようとびっきりの笑顔を向けると、ようやくきらりさんの顔に笑顔が戻ってきた。 車中は暗いからよく見えないけど心なしか顔が赤いような?「歌だけかぁ……わたしはそんなの関係なしにいつでもゆきさんに会いたいのに……」 ごにょごにょと聞こえないように言ったつもりなのだろうけど、タクシー内は思いのほか静かでしっかりと聞こえてしまった。 え